モノが見えるということ

 メガネが発明されたのは、目と光の研究があってこその賜物といえます。
そのエピソードをかいつまんでご紹介しましょう。

 今から2500年ほど昔、インドのある医者は、
「目の中には消えない火があり、ものを見ているときは目から火をだしている」
との説を唱えました。
ギリシャのある数学者は、
「目がものを見るときは、目から熱気が噴出し、それがものにさわるから見える」
との説を唱えました。
有名なギリシャの哲学者も、
「頭をぶつけると目の中に火花が散るのでもわかるとおり、目の中には火があって、その火が目から流れ出す。その火は、周りの太陽光と溶け合ってみるものの方に進み、一方、ものからも火が出て、両方の火がぶつかったとき、ものが見える」
といいました。
その後、古代ギリシャの物理学者は、
「ものはすべて原子で出来ている。ものの外側の原子が、皮がはがれるように空気中に流れ出す。その皮はもとのものと色も形も同じで、それが目に流れ入るから見えるのだ。その証拠に、自分と向き合っている人の目の中を覗くと、そこに自分とそっくり同じ物が見える」
と考えました。

 しかし、ある哲学者は、これらの考えに対して異を唱えます。
「もし、目から火が出てもののありかを探るのなら、どうして人間は暗闇では見えないのか?
ものの皮が目に入るといっても、山や家のような大きなものの皮が目に入るはずがない。
向き合った人の目に自分の姿が映るというのなら、鏡にだって映るのだから、鏡はものを見る力を持っていることになる」

 このように、古代ギリシャやローマ時代には、目について、多くの人が研究しました。しかし、なかなか正しい答えが見出せません。 一方、同じ時代の数学者や天文学者は光の性質を研究しており、こちらは光について大きな発見が得られたようです。
 時代は過ぎて11世紀のイスラム帝国、ばらばらに行われていた目と光の研究を結びつけ、さらに自分の研究を加えて、人間がものを見るときの仕組みについて、概ね正しい説を発表したのが、アルハーゼンという人物です。数学者、天文学者、医者として、多くの本を発表していますが、特に光と目の研究が有名です。
「ものを見るときは、目から光が出るのではなく、光が目に入るのだ。
なぜかというと、私たちは太陽のような強い光を見つめると目が痛くなり、ときには目が傷つく。つまり、太陽から”何か”が目に届いたのだとしか考えられない。その”何か”とはすなわち光である。
光が無くてはものは見えない。ものにあたった光は、そのものの形や色をあらわす光に変わり、その光は四方八方に跳ね返る。そして、その光の一部が目に入り込み、目の中心にある水晶体のなかに、もとのものと同じ色と形の像が写り、その像が神経を伝わって脳にいく。」
 このアルハーゼンの本は、目の構造や像のでき方という点では間違いもありました。
実際は、「目に入った光は角膜、水晶体で大きく屈折され、眼底に位置する網膜に結像され電気信号に変換されて脳に伝えられる。」という仕組みです。
が、このアルハーゼンの本は多くの人々に読まれ、光の研究をする人の教科書として使われました。
目の構造やはたらきが解明されるのにはさらに長い年月が過ぎ、17世紀に入ってからのことです。
ドイツの天文学者ケプラーによってほぼ正しく説明されるようになりました。

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